《New Herbs Part One(若菜・上)》 Yugiri was not exactly consumed with longing and curiosity, but he did hope that he might sometime have a glimpse of her too. A frequenter of the Suzaku Palace, Kashiwagi had known all about the Third Princess and the Suzaku emperor's worries. He had offered himself as a candidate for her hand. His candidacy had not been dismissed, and then, suddenly and to his very great disappointment, she had gone to Genji. He still could not reconcile himself to what had happened. He seems to have taken some comfort in exchanging reports with women whom he had known in her maiden days.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。芹澤文平『芙蓉霊峰名所写真帖』大正4年 宝永ホテル刊 大正時代の富士山写真集 富士山六合目「宝永山荘」。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。傳信州中野鈴泉寺町田謙齋(湘湖)資料。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大日本法律規則類編 上下巻セット 明治19年 戦前 法律法学 六法全書 明治大正 古書和書古本 P。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。鳥井正之助編 大庭新八翻刻『一筆漢画』(全4冊揃)明治14年刊 中国光緒年間の草花画手本帖の和刻本 彩色木版画譜 明治時代和本 中国美術。現在の今上天皇と系譜がつながっている。石田玉山『国姓爺忠義伝 前編』(全十三巻十三冊揃)文化元年 柏原屋源兵衛他刊 江戸時代和本 読本 絵本国姓爺忠義 中国史 浮世絵師絵入本。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 古文書。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。溝口竹亭『俳諧をだまき綱目大成』(全二巻揃・合本一冊)宝暦11年 田中庄兵衛刊 江戸時代和本 俳諧をだまき綱目 俳句 俳諧書 俳書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。1914年 栄華物語 与謝野晶子 中澤弘光絵 金尾文淵堂 彩色挿絵多 検索⇒木版画家 絵本 木版摺 洋画 日本画 浮世絵 陸軍美術協会 曾山幸彦。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。f240502025〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東海堂左り不二 静岡県富士市依田橋 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。竹久夢二木版画装『中山晋平曲 童謡小曲』(2冊=第15,17集) 昭和5年 山野楽器店刊 北原白秋・野口雨情・西條八十ら歌詞。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。詠史百首 大沼枕山 明治期 和歌 短歌 詩学 戦前明治大正古書和書古本 NK。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。『文政再版 続江戸往来』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物 江戸案内書 絵入本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。聖戦美術/陸軍省情報部/非売品/支那事変二周年記念日/昭和14年/小磯良平・向井潤吉・川端龍子・橋本関雪/荒木貞夫題字/和装本/戦時資料。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。ちりめん本 日本の芝居 寺子屋・朝顔 Japanische Dramen Terakoya und Asagao 独語 長谷川武次郎 カール フローレンツ。また、各巻ごとの書かれた年については不明。●俳諧書●『誹諧御傘』全10巻5冊揃い 俳諧御傘 松永貞徳著 俳諧式目 作法書 帝畿宣風坊書林●古書 和本 江戸時代 俳句。従って、応永五年とは、書き始めの年である。永井荷風『葛飾土産』限定300部 昭和25年 中央公論社刊。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。頼山陽『校刻日本外史』(全12冊揃)明治18年 大日本帝国海軍軍艦・富士山艦旧蔵書(印記「富士山艦印」)明治時代和本。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。梁川星巌『星巌集』(全12冊揃)天保12年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。【昭和49年覆刻・限定500セット「古文書時代鑑(上)」】東京大学史料編纂所編/定価20万円/。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。J24021702〇茶家好古集覧 全1冊 須原屋茂兵衛他板 花押 千利休 織田信長 豊臣秀吉 古田織部 細川幽斎他 嘉永7年〇和本古書古文書。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。■『白波五人男』神奈川縣平民・市川かめ翻刻。明治21年初刷。ボール表紙本。文事堂發兌。■御存知「歌舞伎十八番」の伊達男が勢揃い。。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。「武井武雄 刊本作品友の会 頒布記念パーティー敷紙」25枚セット 1967-1983年作 木版画多数 豆本 懐紙。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【戦前書籍/和装本】限定2000部 藤懸静也「浮世絵の研究」上中下3冊 昭和18年 雄山閣刊/岩佐又兵衛/師宣/鳥居流/遊女絵/絶版希少/貴重資料。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。元老・重臣・官僚・華族 野依秀市 秀文閣版 昭和9年11月発行 初版。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。古文書 書簡 五島耕畝 香山基宛て 封筒付き 茨城県 日立市 中里村 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。新薬方鑑 リープライヒ 明治22年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術蘭学漢方学薬学薬理学出産学薬剤学 戦前明治大正古書和書古本 NK。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。御伝鈔演義 抜書 上中下揃 江戸時代 浄土真宗 親鸞 検)仏教仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海法然密教 戦前明治大正古書和書古文書古本 NT。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。1930年代中国 看板 招牌 幌子 検索:銭荘 当舗 図譜 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 青楼 武館 作坊 租界 銀号 煙館 書局 薬舗 老照片賭館。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。中村正蔵『日本外史新論』(全2冊揃)明治16年 成美書堂(岐阜)明治時代和本 頼山陽。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。江戸時代 和書『磐溪小稿』 大槻清崇 紫薇園蔵 文政10年 1827年。二月に女三宮が六条院に降嫁した。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。楽翁 松平定信書幅。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。厩馬新論 卑牧子較評。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。f24022007〇証印税金差出帳 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 地券証 新潟県 県令 楠本正隆 明治6年 越後国蒲原郡夏井村 現北蒲原郡。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。ビンテージ 当時物 修養全集 処世常識宝典 11 大日本雄辯會講談社 昭和四年発行 中外印刷 非売品 レトロ 希少書 アンティーク 古書。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。f240502004〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都佃沖 東京都中央区佃 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。続近世畸人伝■和本■全5冊揃い■落丁なし■三熊花顛■伴蒿蹊■寛政10年(1798年)刊■続近世奇人伝。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。奥村玉蘭 筑前名所図会 全10冊 プラス解説本 家蔵本。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。f24050701〇東雅 新井白石 目録共全5冊 和装活字本 明治36年 日本語の辞書 語源解釈を主に扱う〇和本古書古文書。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。竹久夢二木版画装『中山晋平作曲 新作小学童謡』(2冊セット=第1,3編) 昭和2-3年 京文社刊。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。古文書 書簡 横山大観 書簡3通 宮坂捲雄宛 封筒付き 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。岩垣松苗・菊池純(菊池三渓)編『国史略』(全十五冊揃)明治11-13年 藤井孫兵衛刊明治時代和本 日本史。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。即決 天文暦学書、明治期和本1898~1912(明治30~45)年15冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。近世木活字本 渋井徳章記 近藤忠質訳『責而者艸 前編』(4冊=巻七~十)江戸時代和本 歴史随筆集 史書。》
《おほけなき》・・・・心にしもあらねと、
「み(見)たてまつるおり(折)ありなんや」
と、ゆかしく思ひきこえ給(たまひ)けり。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 小笠原 古文書 書状。
[13-3 柏木、女三の宮に執心]
衛門のかん(督)のきみ(君)も、 院に常に参り、親しくさふらひ
馴れたまひし人なれは、この宮を父帝のかしつきあかめたてまつりたまひし
御心おきてなと、詳しく見たてまつりおきて、さまさまの御定めありし
ころほひより聞こえ寄り、院にも、「めさましとは思し、のたまはせす」
と聞きしを、かくことさまになりたまへるは、いと口惜しく、
胸いたき心地すれは、なほえ思ひ離れす。書簡 小川芋銭 富取風堂宛て 古文書。
そのおり(折)よりかた(語)らひつきにける
女房のたよりに、・・・・《御ありさまなと》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。光琳百図 亀田鵬斎序 谷文晁序 酒井抱一編 2冊 前編後編 博文館。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《明石女御(春宮・皇太子の正室)男子を安産にてご出産》
《源氏の君、皇太子と明石女御の若君を大切にする紫の上について明石の君に話をする》
《大将の君(夕霧)、女三の宮(前朱雀天皇の皇女)と紫の上を比較して見る》
《この宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)は、ご身分のほどを考えても格別のお生れで
いらっしゃるのに、とりわけ殿(源氏の君)のご寵愛があるでもなく、世間の手前をつくろって
いらっしゃるだけではないか、と内情をお分り申している。送料込み、1727年刊。江戸時代の和本「田舎荘子」全4巻、江戸中期の滑稽本、著者は佚斎樗山。それにつけても、
特に大それた》・・・・・野心からというのではないけれども、いつかお目にかかる機会が
ありはしないだろうか、と大将の君(夕霧)は思いをお寄せ申すのであった
《三十五・猫が簾をひき開けその隙間から女三の宮の美しさに気づく柏木》
衛門督の君(柏木)も朱雀院に常々参上し、いつも親しく伺候していらっしゃった人なので、
この宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)を父帝(前朱雀天皇)が大事にお育て申しあそばした、
そのお心づもりなどを詳しく存じあげていた。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。
そのころ、衛門督の君(柏木)にあれこれのご縁談のお取決めのあった時分から、
衛門督の君(柏木)も意中を申し出ていて、院(源氏の君)におかれても別にお気に
召さぬことと仰せになったわけではないと聞いていた。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。
それなのに、院(源氏の君)の許にこの宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)が降嫁されるという
このように思惑ちがいのことにおなりになったのは、まことに残念で胸も痛むような
心地がして、衛門督の君(柏木)は、いまだにあきらめられないでいる。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。
衛門督の君(柏木)は、その時分からなじみになっていた女房のつてで、・・・・
《宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)のご様子などを伝え聞くのを心の慰めにしていた。二大漢籍国字解 全12冊揃/早稲田大学出版部/92823。》
備考・女三の宮(前朱雀天皇の皇女)と紫の上(桐壺天皇の兄、式部卿の親王)は、従姉妹関係の皇族にあたる。f24022101〇古文書 村庄屋 名主 約140年間の記録資料 田方名寄帳 元文5年(1740)~明治10年迄 (1877) 井草宿 埼玉県比企郡川島町。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
Yugiri was not exactly consumed with longing and curiosity,
but he did hope that he might sometime have a glimpse of her too.
A frequenter of the Suzaku Palace, Kashiwagi had known
all about the Third Princess and the Suzaku emperor's worries.
He had offered himself as a candidate for her hand.
His candidacy had not been dismissed, and then,
suddenly and to his very great disappointment, she had gone to Genji.
He still could not reconcile himself to what had happened.
He seems to have taken some comfort in exchanging reports
with women whom he had known in her maiden days.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
夕有此感想,然不敢生非礼之念,但得三公主深可怜,
指望有一面。Y3B3-240517 レア[千字文]。再那个柏木督,一向常在朱雀院邸内出入,
与朱雀院十分昵,因此了解他疼三公主的心情。大森慧範『満鮮旅行録 完』昭和13年刊 神奈川県南足柄市の曹洞宗寺院「長泉院」前住職・大森慧範が満洲国・朝鮮を謳った紀行漢詩集。
朱雀院替三公主婿,柏木知消息,自己也曾提出求婚,
朱雀院并不不当。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。后来三公主于嫁了源氏,柏木大失望,
心中十分悲,直到如今不能忘。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。他那曾央三公主的侍女小侍从替他撮合,
在就从侍女那里探三公主的情况,聊以自慰,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。導水瑣言 岸田吟香自筆書寫本(二五歳) 楽善堂主人寫 安政五年春三月寫。冬姫は内大臣・通誠の養女。矢谷房子編『婦女手紙の文』明治37年文陽堂刊 明治時代和本 女性向け書簡例文集。
冬姫は通称。1925年 初拓 張猛龍碑 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 羅振玉。正式な名は伊達貞子。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。2つとも貞子の印。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。竹久夢二木版画装『弘田龍太郎作曲 童謡小曲選集』(16冊セット=第1~16集)昭和2-7年 京文社刊。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。葛飾北斎絵「三七全伝南柯夢」曲亭馬琴/滝沢馬琴 著 鶴声社 明治17年 表紙裏に木版口絵入り 81丁 ☆和本読本戯作 B24yn。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。富岡鉄斎題字『能楽装束文様大観』彩色木版画12枚入 明治時代末に刊行された能装束作品集 お能。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。HH-6980 ■送料込■ 鼇頭梵和直釈 阿弥陀経図説 極楽 全2冊揃え 明治20年 仏教 木版画 絵入り 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。尾張志・8冊/尾張藩最初の藩撰地誌・張州府志をもとに国号・御城・郭内外市井・産物・神社・城跡・川橋・人物・寺院・古跡などを収録。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。劉向列女伝。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―97B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。一品経和歌懐紙・2冊/佐々木信綱/昭和14年/ここに印行せる一品經和歌懷紙は二首懐紙にして一首は法華經の各品を分ち一首は述懐を題とせり。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。大石千引著 小山田与清序『野乃舎随筆』文政3年 耕文堂/伊勢屋忠左衛門刊 江戸時代和本 加藤千蔭に師事した国学者/歌人の随筆集。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。馬場信武『韻鏡諸鈔大成』(7冊セット=巻2~巻7)宝永2年 小倉八兵衛他刊 江戸時代和本 音韻論。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 八条流馬書 清水忠安謹書 書状 古文書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。墨子兵書 全四冊。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。@1926年 絵にしたる歴史の裏 田村孝之介 俳諧 俳文 浮世絵 漫画家 洋画家 大西孝之助 信濃橋洋画所 風景 裸婦 スケッチの技法 永田禎彌。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【除籍本/まとめ】樺島石梁遺文 全8巻セット 儒学/久留米藩/著作集/和本/古文本【2211-119】。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。写本/「寛政御造営之図」/詳細不明/大久保画本印あり/1冊。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。近代見聞善悪業報因縁集 2〜5巻 一叢軒露宿集選 ; 採璞校評 三都書林 天明8年(1788)☆和本 亡婦/怨/遊女の霊/殺生の業 B20yn。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 阿部軍兵衛 元文五七月 三重六物目録 古文書。撮影後、展示のために再表装をしております。関伝吉編『ころころ雑誌』(4冊)明治12年聚珍社刊(秋田県茶町)明治時代和本 文芸同人誌。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。◎送料無料◎蔵くら◎ お経 妙法蓮華経 巻第八 お経 仏教 ◎ 210909 M H100 仏壇 骨董 古玩 アンティーク レトロ。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。菅茶山著 木村渫庵校『筆のすさび』(全4冊揃)安政4年 太田屋六蔵他刊 江戸時代和本。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。写本『勧殖桑養蚕書外題・豊国書』文政8年 樋口雄貞誌(信濃國松島)江戸時代写本 長野県伊那地方養蚕業。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。※よろこびの春 宮路吉甫喜寿祝歌集 滋賀県蒲生郡中野村宮路直一(現東近江市) 姉小路良子・宮内省御歌所寄人良大口鯛二・須川信行等。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。古屋芳雄『民族淘汰論』岸田劉生・武者小路実篤らと交友した作家 国立公衆衛生院長をつとめた公衆衛生学者。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。ふり分かみ。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。岡山京橋御作事御書出留帳 松本済堅 享保辰八月 纏図。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 三議一統 上 古文書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。長谷川伸旧蔵書『大分聯隊区管内に於ける郷土戦史の研究 第1輯』昭和2年 帝国在郷軍人会大分支部刊(大分県大分市)戦国時代戦史。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。浅草吉原ほか地図多数・解説入 江戸の名所案内「再校江戸砂子」明和9年 菊岡沾涼 7冊☆千住湯島谷中四谷渋谷など和本江戸時代資料 B245yn。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。旅順駐留記念写真帖 第六中隊 大正時代。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。顕意『一乗海義要決 二道血脈図論 二本合冊』文政2年刊 江戸時代和本 浄土宗 仏教書 仏書 菩薩蔵頓教一乗海義要決。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。東洋閨範烈女伝。母は後水尾天皇皇女女二宮。まくり 松村呉春。実母は近衛家女房(瑤林院)。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。幼名は多治丸。送料込み、1859年版。江戸時代の和本「阿蘭陀国条約並税則・日蘭修好通商条約」全1巻、金幸堂、綴じほつれ有、安政五カ国条約、不平等条約。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。東里山人作 歌川英泉画『出謗題無智哉論 三篇』文政8年岩戸屋喜三郎版 江戸時代和本 浮世絵・錦絵。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。老子形気。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。長谷川伸旧蔵書 長尾半平『鴻爪所感』昭和7年 秋水社刊 著者直筆献呈署名入(長谷川伸宛)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。山々亭有人著『花暦封じ文 三編』人情本 彩色木版画入 江戸時代和本 絵入本 浮世絵。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。伊香保温泉名所一覧。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。農業全書。
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